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執筆者の写真中央大学 父母連絡会 福島

2021/08/28東京オリンピック ボランティア

更新日:2021年8月30日

東京オリンピック2020の開幕は、

福島市のあづま球場でのソフトボール競技でした。

このあづま球場でのオリンピックボランティアを、

中央大学父母連絡会福島県支部で副支部長を担当している矢吹賢一さんが担いました。

そのときのことを、まとめていただきました。


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オリンピックボランティアを終えて

                   矢吹賢一

1、期間

 令和3年7月19日(月)ボランティア事前研修

       20日(火)公式練習

       21日(水)試合1日目

       22日(木)試合2日目 計4日間

2、ボランティア内容

 ○競技備品管理メンバー

  ・試合球、練習球の管理

  ・ネクストバッターボックスの設置

  ・試合中に審判に「タオル・ウエットティシュ・水・スポーツドリンク」の提供

  ・物品の運搬等

3、ボランティア活動について

 ○7月19日(月)

 競技備品管理メンバーとして事前研修を行いました。全体研修を行い、各セクション毎のリーダー紹介やボランティアとしての心構え、注意事項を確認しました。

 会場に行き、実際の活動内容を確認しました。

 メンバーはボランティアが4人、日体大ソフトボール部員4人で活動となりました。

 完成はしていなかったものの、オリンピック仕様の会場となり、オーロラビジョンやソフトボール用のフェンス、ベンチやオリンピックの表示など気持ちがとても盛り上がりました。

 あづま球場周辺は車の通行が制限されており、地元の車やオリンピック関係の車両以外は通行止めとなっていました。(私は許可証を持っていたため駐車場に入ることができました。)

 また、入場に関しては、会場周辺が鉄製のフェンスで覆われ、入場口は2カ所だけとなっていました。

 ID カードと顔認証で入場し、持ち物の検査も空港並みに行われていました。会場周辺は、警備員や警察官が24時間体制で警備に当たっており、とても大変そうでした。

 昼食は弁当が支給され、4種類ほどの中から選択でした。また、アイスクリームやソフトドリンクも昼食時にはただで取ることができました。

 明日から選手が入り、公式練習が始まるということでとても気持ちが高揚しました。

 ○7月20日(火)

 この日は公式練習で、各チーム80分ほど練習を行いました。各チーム毎の練習のカラーがあり、音楽をかけながら練習するチームや陽気に声を出して練習するチームが見られました。

 その中でも日本が一番緊張感を持って練習していました。また、前のチームがインタビューで残っていたところ、練習しているチームから、「なぜ残っているのか」「早く出るように」とクレームが入ったこともありました。オリンピックに向けて、緊張感が伝わった瞬間でした。

 未完成だったマウンドもこの日には完成しており、オリンピック仕様になっていました。

 各チームとも、守備や、攻撃のうまさはさすが代表チームだと思いました。イタリアチームだけは、練習時間の途中で記念写真撮影となり、オリンピックを楽しんでいる様子がうかがわれました。

 ○7月21日(水)

 朝5時からの受付となり、私は住んでいる会津若松を午前3時30分に出発となりました。警備がさらに厳しくなりました。

 試合に向けて準備となりました。コロナ対策がとても厳しく、練習球も各チーム毎の使用となりました。試合球も各チームの守備毎にボールを交換となりました。器具を扱う際には、手袋の着用となり、直接触らないようにしていました。

 選手の通過に対しては、報道関係者やボランティアが距離を取るようにしていました。

 試合開始前には、オリンピックの最初の種目ということで、特ダネの小椋さんや藤川球児さん、NHK のアナウンサーや上原浩治さんなど取材に来ていました。

 試合中は、審判に対して給水を行いました。とても暑い日だったので、(熱中症警戒レベルでした)審判員も各イニング毎給水をしていました。

 日本戦も担当となり、日本チームのベンチ裏から観戦することができました。上野投手も初戦のため、いつもの投球ではなく、とても緊張していた姿が見られました。後半日本が打撃が好調で、逆転となりました。勝ったときに日本チームの喜ぶ姿がとても印象的でした。

○7月22日(木)

 試合2日目 この日も朝5時からの勤務でした。前日にテレビに映らないように位置が指導されたため、目張りが入り口にされていました。その点に注意しながらの仕事となりました。

 この日も暑い中での試合となり、審判もイニング毎に給水する方が多く、氷を首筋に当てる場面も多く見られました。

 2試合目は日本戦となり、緊張した場面が続きました。試合の中で、主審にファールボールが当たり、リーダーから「メディック」と呼ぶ声があり、緊張が走りました。タオルや氷、飲み物などが運ばれるとともに、医者の方も対応に当たっていました。

 緊急時に備えて、担架も準備されるなどもベンチ裏で行われていました。無事主審も復帰し、試合が続けられました。ちょうど私が主審に給水する担当だったので「大丈夫ですか」と尋ねると「大丈夫」と返答されていました。

 日本の勝利となり、あとで録画した映像を見たらボールが当たった瞬間を見て、大変な状態だったと再確認できました。

 3試合の活動が終わった後で、後片付けとなりました。ボールやヘルメットなどの物品を数を数え梱包したり、倉庫に運搬したりしました。倉庫には様々な物品(テレビや簡易エアコン、扇風機など)も準備されており、一大イベントであることが再認識できました。

 ボランティアの仕事はこの日で終了となりました。4日間の活動でしたが、オリンピックに携わることができ、毎日が驚きと感動の連続でした。一生に一度の経験をすることができました。


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福島県営あづま球場[2020年06月撮影]

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